日本橋七福神巡り 本編その3
書いてみると意外と長くなるものなんですね。
ビルの1階が神社になっている、なんとも都会的な神社です。
鎌倉時代、この辺りは入り海だったそうで、小島があったそうです。
元々はこの小島にあった柴田家お屋敷のお稲荷様で、舟人は航海の安全を得ていたと伝えられています。
(下の写真参照。神社内の柱に貼ってありました。)
御祭神は、稲荷大神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日前大神(天照大神)・北野大神(菅原道真公)・手置帆負神・彦狭知神・淡島大神・八幡大神・猿田彦神・琴平大神・天日鷲神(大鳥大神)・大宮能売神(おかめさま)・大国主神(だいこくさま)
と沢山いらっしゃいます。
江戸中期頃、社地周辺を埋め立て武家屋敷を造営するため各地から大工、左官、家具職人達が集められ、各々が出身地の氏神の合祀を依頼したため、結果として御祭神が14柱と、希に見る多さとなっているそうです。
古くから沢山の方の拠り所となってきた、懐の広い神社なのですね。
こちらの神社はその昔、明暦の大火以前は、吉原の氏神様として親しまれていたそうです。
日本橋7社の中でも珍しく、お屋敷にあったお稲荷様ではなく、昔からみんなのお稲荷様だったようですね。はっきりとはわかりませんが。
7社の神社のうち一番親しみやすい雰囲気を感じました。
社務所にいた女性もとてもやさしかったです。
社殿は古いですが、昭和20年大空襲により焼失し、戦後に建て替えられたものです。
かわいい猫もいました。人に慣れていて、鳴きながら寄ってきます。
あと白猫も社務所の窓口からでてきました。
ほっこりした後は遊歩道を右手に見ながら通り過ぎ笠間稲荷へ。
日本三大稲荷のひとつ茨城県の笠間稲荷神社を分社したのがこちらの神社で、
江戸時代の古地図には胡桃下稲荷神社(くるみのしたいなりじんじゃ)と書かれていました。
御祭神は宇迦之御魂神と寿老神様。
敷地内にある晴雲神社は牧野家の忠臣で老中の藤江監物が祭神として祀られています。
藤江監物とは?と思い、調べてみると、
ー以下「コトバンク」よりー
貞享(じょうきょう)4年生まれ。日向(ひゅうが)(宮崎県)延岡(のべおか)藩家老。享保(きょうほう)9年恒富村出北(いできた)の開拓のため五ケ瀬川からの用水路建設に着手したが,軍用金流用の嫌疑をかけられ,享保16年8月26日獄死。45歳。名は満遭(みつゆき)。工事は江尻喜多右衛門(えじり-きたえもん)によって19年に完成。
と書かれていました。農民に人気のあった立派な武士で無実の罪で非業の最期を遂げた方のようです。
さて、最後の神社まではすこし歩きます。
こちらの神社は平安時代前期に建てられた神社といわれ、
江戸時代には烏森神社、柳森神社とともに江戸三森に数えられ信仰を集めたほか、現在の宝くじの前身といわれる富くじなどの興行が行われていたそうです。
それを記念して、手水舎の脇に富塚と呼ばれる記念碑があり、宝くじの当選祈願に訪れる方も多いとか。
社務所では、宝くじを入れておく袋も授与品としておかれています。
因みに、社務所は誰もいらっしゃらないときには、ブザーを鳴らすと来てくださいます。
よく神社では欲深いお願いや、宝くじの当選祈願などしないほうが良いとか言われますが、こちらの神社なら安心して祈願できますね。
所要時間は3時間ほどでした。
後日、ランチ、寄り道先、御朱印、地図をご紹介しま~す!